地名がつなぐ今昔物語 <後編> 『浅草奥山』
昨日の<前編>『猿若町』から、
今日は、
“猿若とは江戸の昔からの庭つづきの間柄”と伺った奥山へ。
歌舞伎からつながった散歩道、
どこへと続くやら…
下町歴史部・田中教授の背中を拝みつつ、
さぁさ、おっかけ歩いて参りましょうぞ〜。
猿若町から観音裏、奥山へと歴史散歩二日目は、
私の庭とも言うべき浅草公園四区花やしき通り。
今から約百年前、凌雲閣が見下す南側には
二千六百坪の大池があり、
その東にはひょうたん池が続き、
細流九十九(つくも)川が流れていた。
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昭和26年、
空襲で焼失した浅草寺本堂を再建するために
池は三井物産に売却され埋めたてられた。
その本来の「瓢箪池」の地に開業したのが、
共立メンテナンスの御宿「野乃」であった。
稀なる偶然に驚いたものである。
池あり小川あり、
地盤の緩さを克服しての工事は大変だったと思う。
現在進行中の野乃浅草の別邸工事は、
浅草寺の至近であり、
花やしきと西参道の中に位置して、
今後は浅草西地区発展に寄与するものと
大きな期待が寄せられている。
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――不思議なめぐり合わせを感じるのはそればかりではない。
私の60年前の出来事が、
御宿「野乃」と建設中の別邸の地に由来して、
つくづく長生きして良かったと感じている。
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蔦(つた)が絡まる古色蒼然たる外観。
哀愁漂う入口の看板には、
《入浴料 五〇〇円他》浅草名物『観音温泉』。
当時、花やしき裏にあった場外馬券所、
めずらしく懐(フトコロ)も温まって一汗流そうか。
緑っぽい蛍光灯、壊れかかった脱衣所のロッカー、
佇いこそ年季が入っているが、
あめ色の湯は心地よく、思わず
“ ♪ いい湯だな ビバノンノン ♪ ”、
鼻歌も出てくる。
天然温泉の聖地が観音さまの至近にあるのも驚きだが、
湯船のお年寄り、
「あんた、東京はどこ掘ったって出るのさ!」。
湯上りは食堂でビールを “ クィー!…”、
名物天丼をかっ込んで小原庄助気分。
観音温泉の小旅行が昭和30年代の名物だった。
時代を経て半世紀後、
御宿「野乃」の『凌雲の湯』で
同じ気分を味わうことになるとは考えてもいなかった。
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不思議な物語は続く。
昭和33年(1958)頃の花やしき前、
つまり御宿「野乃」正面入口辺りに
四区名物と言おうか、
浅草奥山の見世物小屋最後の生き残り?にふさわしい
“おどろおどろ”した看板を掲げる『稲村劇場』があった。
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売りはこの世に存在しない奇妙な出しもの。
麒麟(キリン)も驚くひょろひょろ伸びる「首長女」、
大蛇を巻きつけ、かぶりつく「蛇女」、
極めつきは六尺(1.8m)の「大鼬(オオイタチ)」。
生々しい血の看板、思わせ振りの呼込につられ
恐い物見たさに、客は小屋に引き込まれて行く。
“ギャー!”、と黄色い悲鳴。
客のおやじが
「鼬(イタチ)はどこだ?!」
すると入れ墨の恐もてが出てきて、
「おいっ!因縁つける気か!!」と凄む。
なるほど
六尺の戸板に赤いペンキを垂らして
《大板血(おおいたち)》って塩梅だ。
こんな人を喰った見世物が
大手を振る奥山風景だった。
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![](https://community.dl-asobica.com/public/uploads/ckeditor/pictures/563153/content_dc61cf54-f1be-4843-94ed-8ee4d4f0a10b.jpg)
――駈け出しの私は
稲村劇場の主、稲村正雄氏に頭が上がらない。
なにせ勤めている会社に香具師(やし)の稲村正雄親分から、
折々に使用する<奉書連名巻物>の注文が入る。
その使いをやらされ
受注から納品を担当、
校正・印刷は連名に誤字がないかを確認。
ミスがあれば…考えるだけでも恐ろしい…から命がけ。
晩年の稲村親分、馬道の自宅で庭を眺めて伏せっていたが、
玄関ずらりの若い衆に「印刷屋通せ」。
若い私はビクビク参上。
半身(はんみ)を起こし、じっくり目を通せば、
やがて「ご苦労!」。
破格の代金のほかに、
「あんちゃん気を遣わせたな!」と、
安月給に近い小遣いをくれた。
恐さを通り越し神様に思えたものだ。
あのまま図に乗ってたら、
鼬(イタチ)の呼び込みをやっていたかも知れない…
その後の浅草はテレビの普及によって、
お茶の間が劇場となっては人は出てこない。
稲村劇場の奥の手は、ピンク路線の怪しい桃色御殿。
そこに現れたのが、
シルクロードの旅から戻って芝居小屋を探していた
俳優の外波山文明(とばやまぶんめい)氏。
稲村興業に話をつけた。
見世物小屋とは言っても、伝統ある花やしき前。
土の舞台、階段上の客席があり、
楽屋もあって、団員は自炊もできる。
夢の浅草小屋で二年間、5本の芝居を公演した。
稲村興業はその心意気に打たれ、
建ものは年季もの、どうせ壊すんだから好きにやれ!
ラストの芝居は、
戦後生まれの芥川賞受賞作家・中上健次さんの脚本で
<ちちのみの父はいまさず>。
紀州熊野を舞台にした壮大な血の物語。
ラストシーンは小屋の壁を壊し、
背景の幕を落とすと藤棚の初音横丁が現われる。
役者は宙づりになり、
飲み屋の客や道行く人を巻き込んでの大競演!!
壊れた野外劇場の真骨頂!!
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――あれから四十数年、
まさかその地に御宿「野乃」が建ち、
食堂に大正時代の現地を描き、
天然大浴場「凌雲の湯」に浅草の四季を表現し、
作品を眺めて湯につかれるとは夢にも思わなかった。
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青春の血潮と汗、狂気が織り成す浅草四区、
参道を歌舞伎絵一色に染めたりと
私にとっての奥山は忘れ得ぬ幕情である。
<文・イラスト・写真 田中けんじ>
浅草奥山。
浅草寺本堂の裏手あたりの地名で、
浅草寺の山号である「金龍山」の「奥」にあるからだそうです。
江戸きっての庶民娯楽の場所だったとのことで、
前編の猿若=歌舞伎から、
本日は劇場につながりました。
その奥山にある野乃淺草。
教授の散歩にもありましたように、
現在、野乃浅草の別邸の建築も進んでいます。
目の前の花やしき、
そして淺草四区の町並みと空は、
野乃淺草という旅劇場の一大セット…
なんて考えてみたら、
今日の気分も揚がるかもしれませんね…
さすがに野乃劇場、オオイタチや蛇女は見当たりませんが、
お風呂にサウナ、夜鳴きそば、ご当地朝ごはん…
ドーミーイン自慢の出し物を、
首をなが〜くして待っている主役の男女が、
ほら、そこかしこに見えませんか?