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バック トゥ ザ フューチャー!

今から24年前の4月1日、
ドーミーイン本部のある神田から、そう遠くない「浅草駅」、「徒歩1分」の隅田川沿いに、
全76室の「小さな」ドーミーインがオープンしました。

…まだ「4棟目」のドーミーインです。

 

展望大浴場 あさひ湯 ドーミーイン・global cabin浅草」。もともと目指していた「住むホテル」に更に一歩近づくために新タイプの客室「レジデンシャルセミダブルルーム」をご用意しました!

 







24年前の当時、
会社では全社を挙げて「リゾート事業」の大型プロジェクトが進行中、
一方、
ドーミーインは「あくまで試験的事業」の位置付けでしたので…

この小さな「ドーミーインプロジェクト」には「大丈夫なのか?」と心配の声しきり…

…ところが…メンバーはノリノリです!(笑)

「大浴場は最上階ね!」

「サウナはデカく!とにかく広く!電気代?んなモンの計算なんかすんな!」

「ちょっとさ、小さくてもいいから露天風呂、作れたらスゴくない?」

「部屋着は浴衣だと寝にくいね。オリジナル作ろうよ!」

「スリッパもね!」




 

小さいながらも露天風呂。
オープン当時にはなかった東京スカイツリーが、今は目の前に!

 

「大浴場どころかサウナまで!?部屋が減るじゃないか!」と担当者が後で大目玉を食らったという、今や「大人気」の高温サウナ。

 

 

…思えば「浅草」が、
そして浅草までの3棟が、
今のドーミーインの「魂」を醸成したと言えるかも知れません。



「この辺で美味しいオススメのレストランある?」

…フロントデスクに立てば、必ず聞かれる言葉、
「地元の穴場店」。

24年前…
ネットもまだまだ、自分たちの「足」で探して、オススメします。
失敗も多かったなあ…


特に喜ばれたのは「下町中華」!

ドーミーイン浅草から徒歩3分にある『ぼたん』は、創業70年を超えます。
3代目となる川瀬さんのご夫妻は、ともに浅草生まれの浅草育ち。「祖父母が始めた時は、甘味、ラーメン、おでん、カレーに、観光の荷物預かりもやってました。その頃から変わらないメニューは、焼きそばかなぁ。ソースも同じです」という川瀬さん。奥様は「その焼きそばなんですが、当時の具はキャベツだけ。私がお嫁に来てすぐくらいだったと思いますが、あるお客さまから“何も入ってないじゃねぇか!お金払うから肉入れてくれ”って。それから肉入りになりました(笑」。(by編集部)

 


…下町っていいなあ…

 

 

そんなある日、
「デンキヤホール」という喫茶店の店頭で見つけたのが!

 

このテイスト!

 

 

「自分の足と舌で確かめる」
これだ!

 

さっそく記載の「くいだおれおじさん」こと田中けんじ氏の「レタスト」社に連絡したのでした。

レタストの田中けんじさん。なんと現役バリバリの81歳。今から60年以上も前、米国のデザインに憧れて、中学卒業と同時に、福井から親戚を頼って上京。印刷会社での浮世絵師の下で修行がキャリアの第一歩。肩書は“画工見習”。そして画工、イラストレーター、レタリング、グラフィックデザイナー、シャッター絵師と、次々と広がる活動領域に合わせて肩書もどんどん変わり、今は「シャッターだけじゃないから…そうですねぇ…、街絵師かなぁ(笑」。
「僕の人生は浅草の食でできてる。だから浅草は“水が合う”んです。永井荷風先生が大好きで、当時から浅草の食をひとり楽しんでいた先生とは、なんだか人生が似てる気がするんです」という田中さん。永井荷風コスプレをして、先生が愛したお店で舌鼓を打つのが何よりの幸せなんですって。(by編集部)

 

そして田中さんが作ってくださったのが、このドーミーイン浅草でお客様にお配りしたMAP。

 

ぼたん様でもご紹介してくださっています!

 


これが御縁のはじまり、その後、神田、上野御徒町、小伝馬、そして野乃浅草のマップなども作って頂くのですが…
とにかくレタスト田中氏の幅の広い「得意技」と、なんといっても「下町愛」のスゴイ事!

 

そのパワーに押されて?

 

隅田川沿い「助六夢通り」の名前を広めている「ドーミーイン・global cabin浅草」裏のシャッター画。もちろん田中さんの作品。

 

そしてついに?

 

野乃浅草にも田中さんの作品が‼

 

田中さん…大変恐縮ですが…
「下町ドーミーイン」が迎える「2021 東京オリンピック」までを、
下町の歴史を振り返りながら探訪する、
我々の「案内人」として一筆お願いしたいのですが…

 

そう、「DOMINISTYLE 下町歴史部」の部長として、我々をご指導ください!

 

田中けんじ『教授』!
ヨロシクお願い致します!

 

「もともと、というより、今も絵描きなんで、文章ですか?
“浅草”っていう街の定期刊行物に、趣味で書いてるくらいなんで、ちょっと硬いですけどいいのかなぁ。だけど、何か歴史を伝えるお手伝いになるなら、喜んで書きます」。


 

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